タバコ屋のおばちゃんの話

どこの町にでもある、おばちゃんが営む小さなタバコ屋さん。

ほとんどの人は、「たばこ」と書かれた赤い看板をなんとなく目で捉えながら、

その小さな店の前を、足早に淡々と通り過ぎてゆく。


しかし、どうだろう。

その平凡そうなおばちゃんが、

実は異次元とも言える程ドラマチックでユニークな人生を送ってきていて。

その果てに、今こうしてタバコ屋で店番をしながら、

街行く人たちの人生と街の平和を見守っている

街の裏ボス的存在だったとしたら。

「何気ない人と、話してみるのも面白いかもしれない。」

『人と繋がる』というのが、今日のトピック。

よく行く通りの角に、ちょっと珍しいレトロな建築の家先にて、たばこと駄菓子を売っているおばちゃんがいる。

よく顔をあわし挨拶はするけど、いつも顔を出して私らの様子を伺っている。

悪い人ではなさそうだけど、なんとなく「メンドくさいなあ」と時々思っていた。

よく話もしないのに、なんでいっつも顔だして様子を見に来るんだろう。


ある日、島から帰って心が広くなったせいか、家の木に生る枇杷をもって、おばちゃんのところに行ってみることにした。

枇杷が生りすぎて、一家では処理しきれなかったので、近所におすそ分けすることで、少しでもカラスからの被害を防ごうというのもあった。


それが予想を遥かに超えものすごく喜んでもらって。

なんやかんやいううちに、店裏の家にあげてもらうことになった。

若干、めんどくさかったけど、この後の予定もないし、好奇心が勝った結果、お邪魔した。


おばちゃんの知られざる一面

入れば、びっくり

壁は漆喰で塗られ、玄関は今は珍しい丸い小窓が付いている。

6畳ほどの畳の部屋は、中庭に面していてとても清々しい。

家の中にある箪笥はどれも釘を使わず木を交互にはめ込んで作られた、100年ほど前の立派なもの。

大正時代の箪笥は、引き出しを出し入れするたびに、裏に着いたハーモニカが空気の出入りで綺麗な音色を出すユニークさがあった。

箪笥から出される品々は、どれもこれも

やれ、漆で塗られ細かく削られた高級な木の皿だ。

やれ、江戸時代のパイプの煙草だ。(さすがタバコ屋)

やれ、細かい装飾が施された酒器だ。

掘りごたつがあって、大正時代のオルガンがあって。

床の間がある。


「タバコ屋のおばちゃんが持てる家とは到底思えない。確かに小さい。小さいながらもなんてモダンで素敵で洗練されとるんや!!」

それほど、シンプルながらも機能的で美しく心が安らぐような、和の家だった。

家というより、出てくるものが全て素晴らしくて、博物館か美術館にいるような気さえした。

私は、心の底から感動した。

それと同時に、「このおばちゃん何者なん」という"ただのタバコ屋のちょっと面倒くさいおばちゃん"という人物に対する、これまでにない興味が湧き上がってきた。


聞くと、おばちゃんは独身だった。

実家は、元々地域一帯の土地を所有する一族で、和菓子やカステラなどを製造するお菓子屋さんだった。お手伝いさんもたくさんいて、住み込みで働かせていたらしい。

色んな話が出てきたが、とにかく、ご家族が"THE 金持ち"だったという事がわかる。

その後、両親の介護をし、そのうち独身生活を謳歌すると決めた。

お母様が亡くなられてからは、「気ままな独身だし広い世界を見てみよう」と、とにかく世界を旅して周った。まだ海外旅行が珍しかった頃から、旅して気づけば21ヵ国行っていた。

アメリカ西海岸、南米ペルー、エジプト、シリア、イスラエル、UAE、中国、ベトナム、カンボジア、インドネシア、ロシア、クロアチア、オーストラリア、ニュージーランド、ウズベキスタン、、、、、、。

6年前から足を悪くして、世界旅行を終了。

元々一族が所有していた土地を利用して、昭和の建築を大切に残したタバコ屋兼駄菓子屋を、長年ずっと一人で営んでいる。

最近は、「終活」を少しずつし始めているんだって。

先週ちょうど墓終いを終えたところだと言っていた。


「今いる場所に不満はあるけど、私は世界を巡って改めて自分の幸福な有り様に感謝しています。世界に行った事で、自分のいる場所をやっと捉える事ができた。それは、人生の財産ね。父と母が他界してからは、私独身だしタバコ屋だけで生計立てるなんてことするから苦労続きだったのかもしれない。だけど、幸せね。そして、同時に世界の状況に心を苦しめている。でも、私にできる事は小さなもので、ここで一生懸命丁寧に生きることが大事だと思っている。」


私は、おばちゃんとの会話がまるで冒険をしているかと思えるくらい楽しくて、気づけばすっかり夕暮れに。

「お話できて本当に楽しかった。また来ますので、お話しましょう!」

「待ってるわね。それより、さっさと海外に飛びなさい!物よりも若いうちは、経験よ。お金は、物や経験につぎ込みなさい。百聞は一見に如かず!!!」

ヨボヨボのおばちゃんから、そんなエネルギッシュな一言もらったら、行くしかないなと思わずにいられない。

5つ年上の世界を旅した先輩とかよりも、断然説得力とパワーがある。


"ただのタバコ屋のちょっと面倒くさいおばちゃん"なんかではなかった。

世界中を旅する中で、人と出会うこと、人と共有する時間を、心から楽しむフレンドリーな方。

古いものを磨き、新しきを柔軟に受け入れる方。

人の面倒見の良い方。

寂しがりな面も持ってらっしゃるけど、粋で好奇心旺盛で面白い、そんな人だった。

実は異次元とも言える程ドラマチックでユニークな人生を送ってきていて。
その果てに、今こうしてタバコ屋で店番をしながら、
街行く人たちの人生と街の平和を見守っている

街の裏ボス的存在だった。




私は、彼女と出会えてともに楽しい時間を過ごせて、心から幸せだなと思った。

世界旅行や地域の昔話を聞かせてもらったり、シンプルで美しい日本の工芸品や美術品を見せてもらった事。ほぼ、挨拶以外で何も会話をした事なかった私に、自らオープンに様々な話をしてくれる事が、とっても嬉しかった。

なにより、一番幸せを感じたのは、時間を共有しコミュニケーションをする中で、おばちゃんとの新たな「つながり」が作られていくのを実感した事だ。

ちょっと勇気を出して相手の場所へ行くと、そこから新しい「つながり」ができる。

その「つながり」に、勇気付けてもらったり、楽しい時間を過ごさせてもらったり、たまには感情を揺さぶられたり、発見や気づきをもらう。

それが、なんとなく温かみがあって人間らしいなと思え、嬉しかった。

(あと、本当に久しぶりに人に強い興味が持てた自分がいたことに気づけたのも嬉しかった。)


繋がりの弱化と孤独

私が枇杷を持って挨拶しになんかいかなかったら、タバコ屋のおばちゃんの事を一生知らなかったのだと思うと、損した気分になる。

"顔は知ってるけど名前もどんな人なのかも知らない"という人が沢山いるなと思った。

普段、自分にとって「なんでもない人」は、景色の一部と化している。

相手にどんな人生があるとか、どんな思いで今この瞬間その場所にいるとか、そもそも何ていう名前なのか、そんなこと気にもしない。

ミレニアム世代を痛烈に描いたドラマに最近ハマっているのだけれど、

その中の一セリフに、ハッとさせる場面がある。


私たちは自分の中にこもりがちよ。
そういう楽をしている人への共感を失う
人に興味がなくなる。人と知り合うのは面倒だものね。
人の名前を聞かないほうが楽。
- ドラマ「GIRLS/ガールズ」HBO シーズン4エピソード7


SNSとか核家族化とかグローバリゼーションとか、そんな私たちを取り巻くものが、今後人と人の「繋がり」をさらに薄く細いものにしていくと分析する学者がいる。

イギリスでは、人との繋がりの気薄が進み、国民が「孤独」苦しんでいると新たに「孤独担当大臣」が新設された。

最近読んでいる本でも、人々の孤独と孤立はますます深刻になると予想されていると書かれてた。

そういった背景が自分に大きな影響をもたらしている事を感じていて、私自身も人との繋がりを直視して大切にしてこなかった節があるからこそ、心に刺さったセリフだった。




これからも、ちょくちょく会って他愛もない話をしに、タバコ屋に寄る予定。

「何気ない人と、話してみるのも面白いかもしれない。」

『人と繋がる』というのが、今日のトピックでした。

梅雨になったね

体調崩さぬよういましょう!


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