自由になりたかった小学生の時のエピソード

結構くだらない話。


最近ふと、「早く大人になって自由になりたい」とずっと思っていた小学生時代の事を思い出した。


当時は、日頃からそう思っていたが、特に強くそう願ったのは決まってトイレに行く時だった。

その願いは、小学生から高校生終わりまで続いた。


授業中はトイレに自由にいけない問題。

誰もが一度はこの問題と戦った経験があるんじゃないかと思う。

トイレに行きたければ、席を立って板書している先生のところまで行き、小声で「お腹が痛いのでトイレに行ってきてもいいですか」と確認し許可をもらってから行かないといけない。

そりゃ、こっちは腹痛が止まって授業中席を立つ事なんていう事なく、45分平和に授業を受けたい。

だけど、お腹が痛いんだから仕方がない。

しばらく頑張ったけど、もうしんどくて我慢できない。

トイレに行くという選択以外ない。

ということは、

先生に「トイレに行きます」と言いに、黒板前まで行かないといけない。

しかし、クラスメイトの目の前で、トイレに行きたいと頼み行くまでに、ちょっとした勇気がいる。

クラスメイトの目の前で、わざわざ「私トイレに行きます」と宣言しているようなもんだ。

少なくとも、他のクラスメイトがトイレに行く為、先生へ言いに行った時は、私は

「お腹痛いのか。大変やな、行っといで」って思ってた。

だけど、本人からすれば、そんなパーソナルな事をいちいち人に知られるのは、あんまりいい気はしない。

人に頼まないとトイレに行けないっていう状況ってなんなんだよ!



先生に許可もらわないとトイレにいけない不自由さ。ついでにクラスメイトを意識してしまうから、無駄な恥ずかしさまでつきまとう。

そんなシチュエーションが、本当に窮屈で嫌だったなあ。

トイレ済ませてから、教室に戻るまでの廊下ではいつも、

「あーー、大人はいいなあーー。授業なんていう時間的拘束がないから、好きなタイミングでトイレいけるよね。先生なんていないから、人から許可を取らなくても、自分で行きたいと思えばトイレ行けるんだ。やっぱ、大人って自由度高いなーーー。早く大人になって自由になりたいな。」

そう思いながら、静まり返った授業中の教室の中へ、ガラガラと木製で滑りの悪い扉を開け(まるで、「私トイレから戻りました!」とクラスメイトみんなに報告するかのようなデカイ音を立てて)また戻る。




今の私、自由にトイレ行ってるわ。自由や。

そんな小学生時代の「自由になりたかった」エピソードを思い出すと、今の自分は自由やなと思う。

子供の頃は、親や先生といった大人の人の助けがないとできない事は多い。

大人が守ってくれないと、自分の安全や安心が脅かされてしまうので、

その分、大人に頼る場面が多いし、大人がつくった決まり事をちゃんと守らないといけなかった。

20歳すぎた今も、人からの助けと支えなしでは生きられない場面が多い。

でも、自分の意思次第でできる事って、やっぱり子供の頃よりも範囲が広いなあと思った。

「大人って自由度高いなーーー。」

と憧れていた小学生の時の思いって、結構切実なものだったんだなと感じる。

これは、トイレに限った事ではない。

自分の意思と行動次第で、やろうと思えばできる。行きたいところへもある程度いける。


「子どもっていいよな〜〜〜。子どもの頃よりも、今は考える事多くてしんどいわ〜」

と、ついそうなりがちだけど、

今だって子どもにはない「いいな〜」な事、

いっぱいあるやんと思う。



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